Seminar 4
全5回
- Seminar4 開催予定日時
3月14日(木)20:00-22:00
4月11日(木)20:00-22:00
6月13日(木)20:00-22:00
7月11日(木) 20:00-22:00
9月12日(木)20:00-22:00
課題図書紹介
隷属なき道
―AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと1日3時間労働
ルトガー・ブレグマン著
ISBN:978-4163906577
思想書と呼ばれる本には、取扱い上の注意が三つある。第一に、装丁が分厚く字が小さく文章が長く、読むにも持ち歩くにも、多くのエネルギーを読者に要求する。第二に、内容は抽象的かつ観念的で非日常的な難しい語彙が多く用いられ、読者には寝落ちの危険が伴う。第三に、優れた芸術作品がそうであるように、あらゆる部分を過不足のない完全な有機体へと仕上げたい著者のエゴが優先し、その結果、読者への配慮や利便性は考慮されない。本書が世界的ベストセラーとなった最大の理由は、ベーシックインカムというコンセプトが時宜を得ていたということに間違いないが、加えて上述の特徴を全て覆す本書のスタイルにもあるだろう。
一般的な意味で、本書は「読み易い」分類に入ると思う。全体量は適当で、各文章は簡潔で短く、語彙も易しく、何よりも読者が読み進めるための配慮が見られる。各章にはわかりやすい表題が与えられ、その章には同じく表題が与えられた多くの節が配置され、章末には著者による要約までもが配されている。このような配慮は「無名」であった著者が、新たな思想を描き伝えるために最大限の工夫をした、その才能と努力の結果であると思われる。全10章+終章、合計11の章で構成される本書は、各章の冒頭に洒落た緒言が与えられ、読者のイメージを膨らませてくれる。各章にはそれぞれ魅力的なエピソードが盛り込まれ、短い節を追いながら興味深く読み進めるうちに、30頁程度の章を自然に読み切ることができる。そのため、章を追って断続的に読み進めることが、「読み易さ」に大きく寄与していると思われる。
しかし、ここで一つ問題がある。それは、「読み易さ」がすなわち内容把握の易しさになるとは限らない、ということである。つまり、章ごとに切り分けられた著者の「具体的な主張」は伝わってくるのだが、その声の大きさにかき消されて、著者の「包括的な思想」そのものが、見えにくくなっているように思えるのだ。その意味において残念であるとも言えるし、再発見する喜びが読者に残されていて「読書会向き」の著作ということができるかもしれない。そのため、同列に並べられた10章+終章で構成される本書は、それらの章の内容が、相互にどのような関係にあるのか?という構造的オリエンテーションに関する明示的な説明がなく、それは本文に文脈的に織り込まれている。そこでレクチャー開始前に、その構造的オリエンテーションを明らかにしておきたい。蛇足ながら、「包括的な思想」を、「具体的な主張」で包むことで、口当たりよく届ける、という戦略は、ポピュリズムの時代において、学ぶべきスキルなのかもしれない。
本書は、第1章がプロローグの、終章がエピローグの役割をもち、そこで「ユートピアを再び手に入れ実現するための道を探る」というテーマが示され、それを補完するために、第2章から第10章までが書かれている。ここまでは読まずともあたりはつくのだが、問題はその第2章から第10章までのコンテンツが、どのような構造になっているのかが分かりにくいということなのだ。
コンテンツは三つに分かれる。ここでは便宜上それらを第1部、第2部、第3部と呼ぶことにする。第1部は第2章から第4章目までの三つの章で、フリーマネーつまり制度としてのベーシックインカムが語られる。第2部は第5章から第9章までの五つの章で、頁数としてはここが一番ボリュームがある。そして最後の第10章が、認知の問題を扱う第3部である。
多くの読者と同様に、私がこの本を手にしたのはベーシックインカムに関する議論への興味であった。しかし、それは多く見積もっても本書の三分の一に過ぎない。それでは、それ以外には何が書かれているのであろうか?私自身の躓きの石はそこにあった。そうではなかった。この本は方法の一つとしてのベーシックインカムを取り上げているが、目的はあくまでもユートピアにあったのだ。
著者と私を含めた読者の違いはユートピアに対するリアリティの有無にある。著者は繰り返し、目的としてのユートピアを手の届くリアルとして語っている。しかし、私たちはそれを、手の届かない夢と読み替えてしまう。それほどまでにユートピアのリアルを把握することは、私たちの認知のバリケードの外に追い出されていたんだ、ということを、精読を繰り返した後に、やっと気づくことができた。著者はそれを言いたかったのだ。その気づきを通じて、本書の構造を理解するに至った。
第1部で詳述されるベーシックインカムはユートピアの扉を開く大切な鍵だが、それだけでは十分ではない。現在社会の基準であるGDPが隠してしまった多くの価値を再び見出す社会的テーマが第2部で検討され、最後の第3部である第10章において、私たちの心理的バリアに関する議論が展開する。なお、第2部では、第6章で労働時間の問題、第7章で職種の問題、第8章で労働そのものの問題、そして第9章で国境開放の問題が検討される。
理想郷とも訳される utopia(英)という言葉は、1516年のトマス・モアの同名の著作により生み出された造語であり、古ギリシア語由来の「どこにも無い場所」の意を含み、現実世界への批判を意図するとされている。つまり、どこまで行っても「どこにも無い場所」にはたどり着けないのだから、ユートピアはそもそも幻影でありナンセンスであると退けることは簡単だ。しかし、著者が語る通り、少なくとも私たちが暮らす日本の標準的な状況は、中世の人びとが描く以上のユートピアであるということは間違いないだろう。そして私たちはこの使い古されたユートピアの中でそれを更新する気概を失っているという著者の指摘もまた、的を射ている。
あらかじめ可能そうに見えること、いわゆる「計画」を実現することはテクノクラートに過ぎない。不可能に見えるからこそのユートピアなのだ。その経路や順番がベーシックインカムなのか、ワークシェアリングなのか、あるいは国境開放なのかは問題では無い。また、ユートピアの性質上、帰納的な解法もあるはずがない。だから、「どこにもない」ユートピアの火を心に灯し続けつつ、自分は何を大切にしたいのかを、自ら問い続けることから始めたい。 ・・・これってアート?