Seminar 1
課題図書紹介
なぜ脳はアートがわかるのか
-現代美術史から学ぶ脳科学入門-
エリック・R・カンデル 著, 高橋洋 訳
ISBN: 978-4-7917-7175-2
本書は、2000年に神経系の情報伝達に関する発見の功績によりノーベル生理学・医学賞を受賞した神経学者、Eric Richard Kandel による最近の著作で、日本では2019年に翻訳されました。いかにも今どきの日本語タイトルが冠されていますが、原題は Reductionism in Art and Brain Science: Bridging the Two Cultures(2016)で直訳すれば、「アートと脳科学、二つの文化を架橋する還元主義」となります。興味深いことに、本書を貫く哲学ともいえる「Reductionism」(還元主義)という言葉が、日本語タイトルからはすっかり消えています。
本書の魅力は、平易で簡便な表現を通じて、脳科学と現代美術(狭義には抽象表現主義)というかけ離れた二つの世界を、見事に分かりやすく解説してくれることです。私は脳科学の内容を批判する知識はありませんが、一方のアート(現代美術)の解説だけを見ても、これほどわかりやすく体系的な記述は他に見当たりません。そして、その独自な体系を支える主柱が、ノーベル賞科学者としての著者の哲学である「還元主義」です。
アートの観点から捉えた場合に本書は、脳科学が用いる還元主義を用いることで、アート(現代美術)という複雑な事象は、「より基本的かつ機能論的なレベルでひとつの構成要素を調査することで」(本文p13引用)説明できるという、大いなる命題を私たちに示すことになります。そして、ここで疑問が生じます。アートがもし何かの構成要素に還元されたのであれば、すでにアートは瓦解し、私たちの文化においてアートという概念はその独自の価値を失ってしまうことになります。果たして、アートは何かの構成要素に還元可能なのでしょうか?私たちにとって、本書を巡る冒険は、この疑問から始まります。
Seminar
第1回 2022/8/27
第2回 2022/9/27
第3回 2022/10/24
第4回 2022/11/28
第5回 2022/12/14
Yomu-Repo
読むラボに参加して
文:日比生梨香子
初回で取り上げられた本は『なぜ脳はアートがわかるのか-現代美術史から学ぶ脳科学入門-』。ノーベル賞科学者エリック・R・カンデルが、現代アートを脳科学の知見から分析した、珍しい本だ。
現代アートは数十年〜百数十年の時間しか経っておらず、歴史的コンテクストに位置付けるのが難しいテーマだろう。それを筆者独自の観点から、見事にまとめ上げている。時に素人目にも強引な解釈はありつつも、現代アートの連なりを『還元主義』を通して分析しようとする試み、全体を通して妙な説得力・熱っぽさが魅力的だった。
読むラボに参加して、自分が日頃いかに漫然と情報に触れていたのか愕然とした。一応本書を通読してから読むラボに挑んだものの、精読から生まれた講義や内容のディスカッションでは、「私は本当に彼らと同じ本を読んだのか?」と思うほど、未知の知見で満ちていたからだ。
これは私個人の反省だが、初回は分からなかったことを深められたというより、そもそも何が分からないかを理解できたことが収穫、という結果になった。次回は講義の内容を踏まえた再読など、個人的な努力も含め、不知の自覚からもう一歩先に進みたい。
私は基本的に、「対象を詳しく知らない方が、正しく純粋にそれを理解できる」という言説には賛同しない。むしろ反対で、物事を知れば知るほど、多角的な検討ができるようになり、新しく柔軟な発見があるはずだ。
知識が足枷になる要因は、知ることそのものにはない。そんな時はたいてい、情報同士や経験・感覚との独自の関連性を見出そうとしていない。もしくは、築き上げたその結びつきを過信しすぎて、世界を無理矢理それに当てはめるような解釈をしてしまっているからだろう。
読むラボの場合は講義の後に、ディスカッションする時間が設けられていたことが、その懸念を解消してくれたように思う。参加者同士で学んだばかりの知識の関連性を探し、批判的な視点も含めそれを複眼で検討できたからだ。
とはいえ、人間には確かに、歴史を知らない建造物やルールが分からないスポーツを観て、震えるほどの感動を得ることがある。読むラボ参加者の一人からも、ロンドンのミュージアムで名前も知らない絵画を観て、涙が止まらなくなったという美しい体験談を聞いた。「対象を詳しく知らない方が、正しく純粋にそれを理解できる」を否定することは、「純粋な」感動や喜びを否定するのだろうか?
しかし、私はそのプリミティブな感覚自体が、知るという行為に還元されると考える。自分の中にはこのような感情が存在し、世界にはそれを引き出してくれるものが存在すると理解する。純粋な喜びとは、知ることに他ならないのだ。
これから先も人生の中で、純粋な喜びとしての知を追い続けたい。読むラボに携わる中では、何度でもそんな内心に気付かされる。毎回、講義やディスカッションに参加しながら一人、上記のようなことを考えていた。